前回はラテンアメリカの地理・地誌を一気に復習しましたが、メキシコ湾岸の地域については、触れられずにいました。
今回は、メキシコ湾岸の地域の中でも特に有名な「キューバ」の地誌/地理を勉強していきたいと思います。
キューバの位置と基礎知識
キューバはメキシコ湾に位置する島国で、メキシコのユカタン半島やアメリカのフロリダ半島からとても近いということを覚えておきましょう。
特にフロリダ半島のマイアミは、キューバの首都のハバナの名前をとって、「北ハバナ」とも呼ばれるくらいアメリカとキューバの関係性は深いです。
キューバの首都はハバナで、公用語はスペイン語、通貨はキューバペソが使用されています。
カリブの国たち
キューバを含むカリブ海地域の国々は「新大陸」を発見したスペイン人のコロンブスの第一航海で発見されました。
そして、スペイン人によって植民地化・征服化が始まりました。
まずスペイン人たちは貴金属を探しあてようとしました。そのため原住民(インディオ)たちを働かせたのですが、厳しい労働環境と、ヨーロッパではやっていたインフルエンザが原住民の間で蔓延し、数十年ほどでほとんどいなくなってしまいました。
しかし、カリブ海は気候が良く、様々なプランテーション作物が良く育つ素晴らしい土地だったので、そのような土地を見捨てる訳はありません。
でも、労働力がない、どうしよう。。。
そこでスペイン人たちは「労働力がなければ、つれてくればいいじゃない」という考えでアフリカから多くの黒人を連れてきました。
1551年から1870年の間にアメリカの10倍近い数の黒人が連れてこられたので、このカリブ海諸国を「アフロアメリカ」なんて呼んだりします。
キューバの知っておくべき歴史
スペイン植民地時代~独立まで
スペイン人によるキューバの植民地化で豊富なサトウキビを背景とする製糖業や、黒人を利用した奴隷貿易が盛んになりました。
とくに首都のハバナは、メキシコシティーやリマに並ぶスペインのアメリカ植民地の中では3番目に大きい都市に。
そのため町には大学や病院が作られたほか、防衛の観点から要塞も築かれました。
しかし30年戦争の講和条約であるウェストファリア条約により、スペイン帝国は落ちぶれていきます。
19世紀初めには、スペインはフィリピン、プエルトリコなどのわずかに残った最後の植民地キューバを決して手放すまいとして、キューバの駐留スペイン軍をさらに強化します。
そんな中、最初の独立闘争はカルロス・マヌエル・デ・セスペデスにより1868年に始められた第一次キューバ独立戦争として知られ、10年あまりにわたって続けられました。
しかし1877年にスペイン当局によりキューバへの自治が認められると終結し、1878年にはサンホン条約が結ばれスペインと休戦に。
1898年に締結された米西戦争の平和条約であるパリ条約によってスペイン植民地だったフィリピン、グアム、プエルトリコは割譲されてアメリカの植民地となりました。
そしてキューバ国内では降伏したスペイン軍とアメリカ軍により軍政が敷かれました。
昨日の敵は今日の友。的な。
こうして形式的にはスペインからの独立を果たしました。
しかし、アメリカが新しい宗主国となったので、完全な主権国家とは程遠い状態なのは変わっていません。
とくに象徴的なのは、アメリカの議会はキューバ憲法の制定の時、キューバに対するアメリカの内政干渉権とグァンタナモとバイア・オンダの2か所にアメリカの軍事基地を置くことなどを盛り込み、実質的なアメリカの保護国ととするプラット修正条項(Platt Amendment)を要求したことです。
しかしアメリカの資本が「独立」のおかげでたくさん流入することにつながったため、経済は発展していき、鉄道会社も設立されるほどに。
また当時のバティスタ政権も公共事業や軽工業を奨励したことから、国民一人当たりのGDPはラテンアメリカで最高になりました。
しかし、国民の貧富の差が拡大した時期でもあったため、大衆の不満をバティスタ政権は強圧的に引き締めていきましたが、大衆の不満を買うことにつながってしまいます。
不明 – https://www.cnn.com/, パブリック・ドメイン, リンクによる
1952年の第二次バティスタ政権はクーデターで政権を奪取し、憲法を停止したうえで独裁政治を始めました。
第二次バティスタ政権は、腐敗、弾圧、独裁という状態が続くことになり、また「バティスタ政権」と「アメリカ政府」、「アメリカ企業」、「アメリカマフィア」の4者がキューバの富を独占し、その富がアメリカ本土に流れるような社会構造が形成されていくことに。
これらの構図は映画『ゴッドファーザー3』でも描かれているんです!
このシーンは映画冒頭の議員と、ラス・ベガスのライセンス料金を巡って交渉が決裂するシーンです。